ベルリンの美大でやったこと パフォーマンス 2

今日もパフォーマンスの授業のことを書いていきます。

二日目も同じ講師によるワークショップでした。

いきなり雑なスケッチすみません。

テキトーすぎる説明図

この図のように列を二つ作って、その間を目をつぶって向かいの人のところまで歩いていきます。

目をつぶって進んで行く人を、両端の人たちで守っているイメージです。

例えば 左に外れ過ぎたら、優しく右に押し返して最後までたどり着けるようにサポートします。

スキップして行く人もいれば、そろそろ慎重に進んで行く人も。

私はくるくる回り過ぎてどっちの方向に進めばいいのかわからなくなり、無数に伸びてくる手に誘われ、最後はゆったりと受け止めてもらえました。

 

 

その後またふたグループに分かれ、一つのグループは目をつぶったまま部屋に立ち

もう一つのグループは目をつぶっている人たちをマテリアルとして彫刻を作るというワークショップもしました。

何も見えないまま布が体に巻きつき、誰かの手が肩にまわされ。

『you are hero.』と誰かに囁かれ、マントがかけられました。そして鼻の下に何かひと塗り。

中腰のまま10分も15分もじっとしていない時もあり結構きつかったですが、シーンとしたこの空気を壊したくないと集中していました。

インスタレーションにされる側は目をつぶっている。自分がどんな見た目になっているのかは想像するのみ

ワークショップの講師のかたはドイツ人ではなかったので、ずっと英語で行われました。

英語が出てこなくてドイツ語で喋っていたのですが、周りのみんなが英語に訳してくれました。

最後にワークショップで何を感じたか話す機会があったのですが、『みんな目が見えなかったら差別はなくなるのかな』というぼんやりとした思いを口にしました。

ワークショップ中はずっと目をつぶって触れ合っていたので、いつものように相手を『ドイツ人』『外国人』と感じずにすんだからです。

今は少なくなってきましたが、街を歩いていると『ハロー中国人』と声をかけられ、差別なのかよく分からないまま、しかしモヤモヤした気持ちを持ちつつ、ということがありました。

中国人と間違われたことが嫌なのか?それはそれで…?と悩んでいましたが、ある日友達の『だっていちいち何人って言ってくるのが単純にウザいじゃん、何人でも関係ないでしょ』という言葉でやっとこの不快感がスッキリしました。

ワークショップの話に戻りますが、講師の人は私の疑問に少し黙り『差別っていうのは歴史と深い関係があるから、単に見た目の問題だけではなんとも言えない。この話はすごくセンシティブだからこれ以上語れない』と答えてくれました。彼女も有色人種の一人で、ワークショップの間もよくレイシズムの話に触れていました。

その後みんなでレイシズムの話になりましたが、私はちょっと英語についていけませんでした。

ワークショップの後はmovieを作るという課題が与えられました。

テーマは 『Identity』です。カット入れず、動画加工もしてはいけないという条件付きでした。

私はテレビ電話を自分のパソコンとiphoneを使って、反響する独り言を撮りました。

友達のmovie制作のためにHauptbahnhofで韓国の民族衣装を模した服を着る友達を撮影したりしました。人から奇異の目で見つめられる友達をカメラのレンズ越しに眺める、これも”アートに酔う”気持ちなのかな

このワークショップで変に恥ずかしがる気持ちが吐き出せた、というかアートや自分がしたいもののためだったら雑念を捨てられる、一つのことに集中できる身体になったと思います。

他の人のmovieもとても面白くて、電車の中で踊りまくったり、裸にコート着て化粧して街へ出る男の子とか。口から目玉とオレンジ色のネットをひたすら唾液とともに吐き出すものも。

電車の中で向かいに座った人の手を握り、握り返されない悲しみを撮っていたり。

これでパフォーマンスの授業の話は一旦終わりです。とても好きな思い出なのでこうして文章にできて嬉しかったです。

それでは。

 

 

 

 

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