私は自他共に認める人見知りです。
ドイツに来て幾分マシにはなりましたが、それでもやっぱりまだまだキツイ場面があります。歳とればもっと楽になっていくんだろうなって思っています。
それではいってみよ〜人見知りあるある!
その時限りの出会いなら話せる
人見知りのど定番。
バス停でおばあちゃんと、とか旅先で知り合った人とか(これから関係を維持していくこともない人)とはめちゃくちゃフレンドリーかつ機転の効いた対応ができたりする。
これからも仲良くやっていかなければならない関係の中では、気を使いすぎて何も喋れなくなる。(クラス替えの時とか、新しいグループワーク始まった時とか)
沈黙は大丈夫、むしろ沈黙で退屈させてないか心配
二人きりで沈黙になってしまうことは全然平気なのですが、(むしろ話さなくていいので楽)同時に ”相手はこの時間をツマンネ〜と思って過ごしているんではないか??”といった不安が出てきます。
何も話さない時間は相手にとっては退屈なのではないか、と気が気でなくなるのですね。だからその間を埋めようと頑張ってどうでもいいことを話してみたり。
喋れば喋るほどキツイ空気になる
でもそういう時に話すこと、たいてい全然盛り上がらない。
しかも、相手も反応しづらいこと喋ったりするので『ふ〜ん…』とかで会話が終了し沈黙がさらに重くなったり。
『ツバメ低く飛ぶ時って、明日雨降るらしいですよ』
『ふ〜ん….』
こういう、沈黙が続くときってたいてい相手も人見知りなんですよね。
私はなぜか相手が人見知りの場合、喋りに徹してしまうんですがなかなかこれが辛い。喋りまくる人って無条件でなぜか格下に見える気がする。
頑張ってひねり出した話題も、『そうなんでスカ…』で終了。追い詰められすぎて愛想笑いも固まってくるし、無駄に自虐に走ったりする。そしてスベる。
つまり
人見知りVS人見知りは地獄
人見しり=大人しそうな人って最初、自分と同じタイプだから付き合いやすいのかも?とかよく喋る人より話しかけやすそうだからアタックしがちなんですが、たいてい自爆します。
友達とは喋らなくても会話になるが、そうでもない人とはいくら喋っても会話にならないのが不思議です。
友達に久しぶりに会ったときに『最近何してるの〜』から始まる会話、めちゃくちゃ続く。無意識になんでもペラペラ話すし、他の人とは成り立たないふわふわしたコミュニケーションができる。
対して、顔見知り程度の人と話さなくてはいけない環境におかれたとき(廊下で向かいからやってきたときとか。ほんとにこの状況苦手….何メートル前に来たら挨拶すればいいんけ?実際50メートル先とかから相手のことは認識してるけど、声が届く近さに来るまでのなんとも言えない気まずさといったら。ずっと相手の目見てても変やし、虚空眺めたまま歩いて行くのも怖いよね)の『最近何してるの』には雲泥の差がある。
多分基本興味がない、『最近何してるの』なので半分上の空で口から出てるのです、だから答えが返ってきても全く話が広がらない。間を埋めるためにとにかく質問して、微妙なし〜んができた後にそそくさと
『あ、じゃあ授業が始まるから、じゃあね』とホッとした顔してわかれる。
こっちの緊張が相手にも伝わって、お互いガクガクになっていく
私は感情が表情に出やすいらしくて(喋んなくても考えてることわかる、と言われます。あまり察さないと言われるドイツ人にさえ通じる、私の口に出さない感情。)緊張したらもちろんわかりやすく出ます。
そして、緊張した私に相手が共感してしまって、相手も緊張してしまい、それを私も感じとり、そしてそれを….といった負のスパイラル。
相手が緊張しているのを見ると、なぜかドキドキしてしまいます。
話してるうちに、相手の目を見ていたらそらせなくなってしまってやばい
話すときは、相手の目を見てをモットーにしているのですが、
時々目見すぎてそらせなくなってしまう、がっちりホールドされてしまって
『あ、やばい、目が〜〜〜!!』と思いながらそらせなくなる。なんでだろう。
睡眠術かかって、目が開かなくなってパニックなってる出川にもすごく共感しちゃうな。(By 世界の果てまでイッテQ )
『緊張してるね〜』と言われたら意外と楽になったりする
あ、私緊張してるからちょっと挙動不審ですってわかってもらえるからかな。
言われたときは『私、人見知りなんです』って素直に告白するようにしてます。
話していないのに、それでもシャイ感が出てない人尊敬する
時々いませんか?集まりとかで、全く話していないのに「おとなしいね」とか「人見知りなんだね」とか言われることもなく「落ち着いてる」と見られる人。
そういう人って、少し顔に余裕があってどっしりと座っている気がする。何か唐突に聞かれたとしても慌てることなく答えたり。
私も一回それ目指したんですが、『緊張してたね〜』と早々にバレてました。
言葉は出ないがめちゃくちゃ汗がでる
緊張したら汗が出ます。これ本当に厄介。(汗出てる!)って気づいたら止まらなくなるし。涙と一緒。そういうときはいったん席たって顔洗えばたいてい収まります。
たまに、汗をそうやって出し切った後の方がスッキリして思うようなパフォーマンスができたりします。
一回ど緊張して、次会ったら意外と喋れたりする
最近そのサイクルがわかってきたので、もう初めての人相手にど緊張して全然喋れなくても「それでいいか〜」と思うようになりました。
『いつかお茶しましょうね』が社交辞令か、本心か判断できかねる
これは人見しり関係ないかも。
「もし本心じゃないのに、本気にしてメッセージとか送ったら引かれるかな〜」とかはくよくよ考えますね。それでも行きたい人とは連絡とりますが。
あの、本当に行きたい場合にだけお茶誘ってください!!
私が誘うときは、マジです。
たくさん喋った後に、喉の渇きを感じると『喋りすぎたかな』とか『声デカすぎたかな』とか思う
これは仲良い人とのおしゃべりの後のことです。
一人反省会はたいてい夜に布団の中で開催されます。
いや本当にまじで話すことがない
途中から、「てかなんで今日会ったばかりの人とそんな喋んなきゃいけないの?興味持つってのも無理だろ」と逆ギレみたいな開き直りしてしまうことも(ごく稀)
しかし人とは仲良くなりたい
だからこそ、人見知りでうまくコミュニケーション取れない自分にやきもきするんだろうな。
でも仲良くなりたい人ほど、人見知り発動
多分、自分をいきなりさらけ出しすぎて引かれたりしたくないのかも。
いい自分を見せようとしてすごく用心深くなる=話さなければボロ出ないんじゃ??
まあでも
結局自分傷つきたくない
のかもと思いますね。冒険して(活発に喋って)失敗(引かれたり、無視されたり)したくない、それより人見知りしてた方がまだ安全、みたいな。
だいぶ、人見知りは以前より改善されたし、高校生の頃の自分が今の私を見たら驚くと思います。
それでもまだ「人見知りすぎて辛い….」と思う時が多々ある。
最近は諦めて、「無理に喋らなくてもいいか〜、焦る必要もないしね」と自分を追い詰めないようにしています。
大人になって生きやすくなっていってるのは、できることが増えるというのもあるけれど、できないことも許せるようになってるからかなと思います。
まあでも人の話聞いてると、皆多かれ少なかれ人見知りなのかなと思ってきました。時々スーパーコミュニケーション能力の持ち主にぶち当たることもありますが。
ここまで言ってますが、なんとなく『コミュ障』という言葉が好きではありません。『エモい』って単語みたいな、便利だけど使ったら自分が削られる言葉って感じするな。
それでは、また。