人はひとり。
今のところ『一人』か『独り』かはわかんないんですけど。
しかもそれが哀しいとか嫌だとかいう感情もなく。
(あ、うそ。時々寂しくなる。)
家族に囲まれて、毎日両親からの愛をうけ(当時は当たり前すぎて気づかない)
守られて、何か失敗したとしても結局は可愛いレベルのもので、そんな中に生きていた高校生の頃までは『人はひとり』とか考えたこともなかった。
私の母も、『人はひとりでしょ!当たり前じゃん!』って言った。
母は高校生のときに、自分の両親に『ここは私の家ではない』と言ったらしい。
別に反抗心からとか、家族が嫌いだったから、とかいうわけではなく。
でもそれを聞いた祖母は悲しい顔になり、祖父は激怒した。
それを見て、母はこんな普通のことなのにどうしてそんな反応をするのだろう、
と不思議だったそうだ。
これからの人生、ずっと実家で生きていくわけではないし、ここが私の居場所でもないことは分かりきったことなのに。
その話を母がしているとき、『お母さんの今の居場所はどこなの?』と私は聞けなかった。
話を戻すけど、人はひとりだと思う理由はいくつかあって、
まず自分は自分でしか救えないと思っているから。
自分が納得して、満足しないといくら人から褒められても擁護されても立ち直れないと思う。
もちろん、ひとりで回復するには他の人からの優しさや、愛がとっても大切だし、必要不可欠。
誰かの言葉で気持ちが楽になったり、助言で道が拓けたり、そういうことはあるけれど、結局それも自分の判断だから。
病気できついときとか、誰も悪くないけど自分をすごく責めているときとか
誰もその気持ちはわからないだろうし、私も他の人の苦しみを想像はできるけど
もちろんそれをそのまま体験することはできない。
そして何度も言うようだけど、別にこれを悲観しているわけではない。
でも、私の友達ですごく熱いやさしさのある子がいるんだけど
その子は私に嫌なことがあった時とか、そのことに対してめちゃくちゃ怒ってくれる、その場でありとあらゆる罵詈雑言(私はその度に新しく汚い言葉を覚える)を吐くし
ものすごい形相で、それは周りの何も知らない人たちもちょっとひいてしまうくらいの迫力をもつ。ときにはテーブルをバンっと叩いて、私すらビクッとなる。
私のぽつりぽつりと漏らした言葉で、彼女は自分のことのように怒るし、悲しむ。それを見ていると、私はどんどん冷静になっていって最後は笑ってしまう。
友達が恋人と喧嘩しているときはとても分かりやすい。
寝不足の充血した目で、常にスマホを手にして何やらメッセージを打ち込んでいる。そして急にクラスを出て行ったかと思うと、誰かと早口で電話している。
電話は唐突に終わり、彼女は泣いていることもある。
私はいつも、隣で黙ってなんと声をかけようかと(もしかしたら、彼女を心配する気持ちよりもその悩みの方が大きいかもしれない、今思った….)考えて、
結局『大丈夫?』としか言えない。彼女の背中をさすってもみるが、途中でしっくりこなくてやめてしまう。
何も口に出すことができずにそのまま友達のそばに突っ立ている。
友達が悲しんでいることはわかる、でも彼女が望んでいる言葉はなんだろう、もしかしたらひとりでいたいのかもしれない、それとも誰かといたいのかな。
そんな時に、相手の気持ちに染まったかのように涙を流して、悪態をつく友達がちょっと羨ましくもなる。ちょっと激しいけれど、すごく自然でもあるし、上っ面の共感ではないことを感じさせる。
友達とその恋人ははたから見ていて、溶け合って体の一部が繋がっているように見える。それは絶対的な安心にも見えるし、とても危険に感じる。
友達は人はひとりだと思うのかな。
人はひとりかって話を他の友達ともしたことがあって、
友達は『人はひとりでは生きていけないよ。』と言った。
わかるけれど、自分を救えるのは自分しかいないし、人はひとりで死ぬよと言った。(誰かと心中する時だって、結局個々で死ぬし、死ぬ時に感じることはまたそれぞれ別だろうし)
そしたら、友達は
『もし、自殺しようと思う時に、家族を思い出して思いとどまるってことあるってことは、彼らに生かされているということじゃない?』と言った。
私たちは以前に『自殺したくなっても、それで一生悲しむ人がいる限りは自分で死ぬことはやめよう。』という話をしていたのだ。
(多分自殺を選ぶ時はそんなこと考えている余裕もないんだろうけど。)
とっさに返事ができずにすごくシーンとしてしまった。
たしかに、と思ったけれどでも何か違う、でもなんだろうと。
『でも首を吊らなかったとして、結局死にたいくらいの状況は変わらないよね、この世界にとどまるってことだけが救いだとして。それってかなり辛くない?』
友達は『まあそうだね』と言って黙ってしまった。
それ以上その話を続けるのはやめにした。
最後まで、私は『人はひとり』だと言い続けたし
友達は『人はひとりではない』と繰り返した。
もちろん人はひとりでは生きていけない、絶対に。
でもそれとこれは『人はひとり』とはまた別の話だと思うのだ。
ドイツ来て、ひとりベッドにねっころがっている時にやっと気づいた、なんで今まで気づかなかったんだろう、ひとりってことに。
ある人が絵が描けなくて、悩んで沈んで何も喋らなくなって誰とも会わなくなってしまった。
ジュースを持って行ったり、ピクニックに誘ったりしたけれど
その人と歩いていて、まったく救えていないことを感じた。
いい絵が描けないことには誰も結局彼を幸せにはしない。
いざというときに頼れるのが自分しかいないってのは時にすごく心細いけれど
いつでも自分をレスキューできるような私になれたらと思っているし、
そうなる日がくるまでに、辛いこともたくさんあるんだろうね。