『mimiってフィレンツェ来るよね?』
イタリアに留学中の友達からメッセージが来た、
当時私はクレイジー同居人と抗争真っ只中、家も6月からなくなることが決まっていた。
友達がイタリアにいる間に遊びに行くことは決めていた、それを逃したら次いつ会うのだろう、といった状況だったし。
ほんとはイタリアに行く余裕はなかったはず、でもここまで来るとヤケクソ。
たくさんの課題、家探し、クソだるいことまみれだけどさ、イタリアいってみよか〜
そしてあっという間にやって来た、イタリアに行く朝。
隣町まで軽くピクニックするくらいの気軽さ、荷物の軽さで飛び出した。
空港に着いたら、友達はむきむきになってた。(間違った、むきむきになった友達が待ってた。)
『うぉ〜、むきむきだね〜』と私、脳みそと口が一直線なので。
少し会わないうちに筋トレが趣味になったらしい、友達。
彼が持ってきてくれた、クリームたっぷりのクロワッサンを食べながら街に向かう。チョコクリームが溢れて、とろけて、笑ってしまう。
友達が準備してくれたウェットティッシュは”ウェット”以上にシャバシャバに濡れていて、口を拭いたら顔を洗ったみたいにベチャベチャになってまた笑った。
宿に着いた、ホストはほぼ8割をイタリア語で説明し、思い出したように英語をチョロチョロと混ぜる。でも友達が訳してくれるので、私は隣でヘラヘラしていた。暑かった、フィレンツェはまじで暑い。
そのあとは近くのマーケットに向かう。
友達がオススメの古着屋さんに連れていってくれた。
Melrose Vintage 場所はここです。
冬服がやっぱかわいいよね〜という話になる、汗をだらだらかきながら。
とてもかわいい古着屋さんだった、オススメです。
イタリアといえばジェラート屋さん、犬も歩けばジェラテリアに当たる。(かなり違いますね、意味。)
イタリアのジェラートは、まずコーン(またはカップ)の大きさを頼んで、
それからのっけるアイスの種類を店員さんに伝える。
私はいつも一番小さいコーン(ピッコロという)を頼んでジェラートを二つのせてもらう。かなり小さい土台なので、そりゃもう全速力で舐める。美味しいジェラートほどすぐ溶けるので、こちらも必死です。
友達はいつもカップで頼んでいた、カップでアイス食べる人ってなんか大人だと思う。私はコーンまで食べたい、いつも。
途中で雑貨屋さんにもよって、私は金の木の葉のネックレスを買いました。
もしかしたら、ネックレスを手に入れたのは7歳の誕生日でもらった以来かもしれないです。暑いのもあるし、ネックレスを買うという初めての行為にまた汗をだらだらかきました。店員さんにも『今日はまじ暑いよね〜』と言われながら。
友達は、お母さんにお土産として置物を頼まれているそうで、道中いろんなとこど探しました。ダビデ像、とかはダメなんかなぁ。
※追記 ピノキオのビヨーンと伸びるバネのついた置物を買うそうです。
友達がイタリア語で店員さんと話しているのを見るのはなんともいえない、こそばゆい気持ちになりました。ここだけの話ですが。自分はなんもしてないのに、ちょっと自慢げな気持ちになるのかな。
ヴェッキオ橋は、前に絵にも描いたくらい好きな形をしている。
まさか、この橋渡れちゃうとはな、知らなかった。
夕焼けを見ていたら、川にカモノハシみたいなスリムなカピバラみたいな生物がスイッ〜と泳いでいた。
『ウェっ!なんだあれ?』とか友達と言ってる間にあっという間に橋の下に隠れてしまった。反対側に回っても流れてきたのは、誰かが捨てた花束だった。
『ブーケトス、投げすぎちゃったのかもね』
なんとなく時間が余ったので、フィレンツェ1大きい教会の側のベンチに座ってぼーっとする。
ぼーっとしながら、フィレンツェ の絵売りを観察する。
彼らは地面に直接絵を置き、通りすがりの観光客がうっかりそれを踏みでもしたらずっとあとを追って、買うまでしつこく絡み続ける。
しかし「警察呼ぶぞ」といえば、すぐに引き下がるらしい。
意外と買ってしまう観光客はいた。驚いた。
「あれでどれくらい稼げるんだろうね」と友達がいう。
イタリアの緊急車両のサイレンは正直、楽しげに聞こえてしまう。最初は何か激し目のフェスティバルなのかなと思ってしまった。
信号機ものんびりしている。全く歩行者を渡らす気のないベルリンの信号とは大違いだ。
夕ご飯は友達オススメのピッツェリアへ。
彼も私も食べることには目がないので、食べ物を前にしたときが一番ニコニコするし饒舌になる。
友達はIPAが大好き。
私は喫茶店開きたい、と言いながら炭酸水くらいしか飲まないのでほんとに情けない気持ちになってくる。せめてコーヒーは飲めるようになりたいものだ。
前にローマで食べた水牛モッツァレラのマルゲリータがとても美味しくて、今回もそれを頼んだ。友達はポルチーニのピザ。
ポルチーニのピザは、めちゃくちゃ美味しかった。ニンニクの香りがまず素晴らしかった、ジューシーなポルチーニも野菜とは思えない味の濃さと歯ごたえ。
マルゲリータも美味しかったが、ローマで食べたのには一歩及ばずであった。二人でちょっぴりがっかりしてしまう。一度本当に美味しいものを知ってしまうと、こういうことが起こる。
友達はポルチーニのピザを私により多く食べさせてくれた。私は、これからのイタリア滞在では彼が”美味しい”というものだけを食べていようと心に決めた。
フィレンツェは夜になってもずっと蒸し暑かった、顔がベタベタして、日陰にいってもサウナにいるかのよう。ここまで気温が高いのは予想していなかった。
しかも友達は『イタリアの蚊はかゆいというより、痛い。蚊取りしないで寝てたら、ブワァッ〜〜って刺されたもん』と私を脅す。
ということで次の日は布切れ一枚みたいなワンピースを来た。
それで少しだけ涼しくなった気がした。
お昼ご飯は中華を食べた。
イタリアまで来たのに、とかそんなことは私たちには関係ない。その時、食べたいものを食べるのだ。
ここでも友達の勧めた酢ドリが美味しかった、ジャージャー麺は大量で、店員さんが持ってきた瞬間から笑っていた。でも二人でニコニコ食べた。
友達は私が食べきれないものなどを「いいよ、いいよ」と言って食べてくれる。
穏やかで、スマート、何をしてもそつがない彼はその時だけ少し野蛮で見てて気持ちがいい。
今日は一大イベントがあった、ウフィツィ美術館に行くのだ。
そしてこれが最初で最後の観光らしい行動となった。
『多分私って、旅行向いてないんよね』と恥ずかしながらの告白。
教会にいってもいいけど、入場料まで払ってステンドグラスを見たいとはあまり思わないし。昔々からの建物、銅像などを見ても『へぇ〜…..』としか言葉が出てこない。自分でも残念な人間だと思う。
友達もそう。ベルリンに来た時も、ブランデンブルク門は空港のバスから一瞬見ただけだし、美術館も特に….といった感じだった。
しかしそんな私たちでも絶対に行きたいところがあった、未だ建設中の
サグラダファミリア。
ウフィツィ美術館は予約があった方がスムーズ。入場料は20Euro(予約手数料込みで24Euro)時期が時期だと、もう少しやすくなるみたい。
ここで見たかったのは、ボッティチェリ。
すら〜っと宗教画を流し見ていたら、あっという間にたどり着いてしまった。
『え!もう?!』 全く心の準備ができていないのに目の前に現れた春のヴィーナスに少し焦る。
こんなこというのもなんだけれど、ここまで美しい絵が描けたらボッティチェリも楽しそうだなと思った。(すみません、脳みそと口が一直線なもので)
友達は以前に何回かすでに美術館に来たみたいで、色々解説をしてくれた。
「彫刻は、布を見るらしいよ」
「肖像画では、首のたるみとかで年齢を表現するんだって」
「この人が被ってる帽子はね…(ちょっとここでは書けません。)」
世界史の資料集で見た、ラオコーンの像もあった。
高校のとき、きっと写真で眺めたはずの苦悶の表情。まさか一緒にイタリアで本物を並んで見ることになるなんて。人生何が起こるかわかりません。
そう考えると、とても不思議な友達との縁。
中高一緒の学校だったけれど、在学中に喋ったことは全くといっていいほどない。高校のとき、真っ白のリュックサックをからってきて、それを汚さないようにすっごく気をつかっていたことが印象に残ってる。今でもあの真っ白なリュックは私の記憶の中で光ってる。
でもベルリンで一緒に踊って遊んで、こうして今もフィレンツェ で一緒にぼけっとしている。なんで?と思うことはきっと彼もあるだろうけど、それでもなんとなく会っている。これからも死ぬまでには2、3回は会いたいと思っているよ。(これは2、3回でいいってことではなくて私の少しシャイで遠慮がちな気持ち)
美術館もそうそうに終えてしまった。そして向かうはスーパーマーケット。
ずっと前から言っていた、ピクニックを実行に移すのだ。
ほんとうはランチボックスに炒めたきのこやら、生ハムを詰めて持って行きたかったが、暑すぎて暑すぎてそんなやる気も出ない。
ムッと熱い空気の塊に常に包み込まれていて、どこに行くにもそれから逃れられない。
ピクニックではフルーツだけ持って行くことにした。スーパーに冷やされた果物はなく、チェリーを一箱買った。一本だけ冷やされていたオレンジジュースの缶、友達はモンスターというエナジードリンクを買った。初めて飲むという。多分、その時冷やされている飲み物の中で一番体積が大きかったから買ったのではないかなと今思った。でもそんなこと考えられないくらい暑さでボーッとしていた。
モンスターは中毒者、または飲み過ぎによる死亡者も出たくらいの飲み物と聞いていたので、今まで全く手を出したことがなかった。自分とは対極にある飲み物といった印象。
しかし、思ったより味はかわいかった。
ありゃ、これなら騙されて飲んじゃうよ、といった軽いマスカット味。
ピクニックに持って行くはずだったオレンジジュースもエナジードリンクもバスを待っている間に飲み干してしまった。
公園ではさくらんぼを食べて、好きな音楽を聞いた。
さくらんぼのタネは最初律儀にスーパーの袋に捨てていたけど、最後は吹き飛ばして飛距離を測って遊んだ。
息を吸って思いっきりふっと強く短く吐き出す。
友達のポーンと飛んでくさくらんぼの種、私のは急降下、全然うまくいかない。
少しでも涼しくなるかな、とミツメやnever young beachを流す。
最後は耐久戦みたいになって、意味もなく二人でベンチの周りをうろうろ歩いた。全部のさくらんぼを食べ終えたら帰る、と決めて。
(100まで数えたら上がっていいお風呂、みたい)
帰り道、ジェラテリアとケーキ屋に寄る。
ずっと食べてばかりの私たち、でもそれが二人にとって一番幸せ。
ケーキ屋では、タルトとカンノーリを買った。ゴットファーザーだね。
行ったジェラート屋さんはここ
ケーキ屋さんはここ
どちらも美味しいし、プロフェッショナル、おすすめ。
夕ご飯は友達が作ってくれた。
ここでいきなりカルボナーラ講座〜
ベーコンをフライパンで炒める傍、パスタを茹でます。
いい感じのとろみがついたら完成。
ここでもスーパーで買ってきた水牛モッツァレラとトマトでカプレーゼを。
実は友達、トマトが苦手らしい。
ならなんでトマトを買ったのだろう、きっと暑かったからだな。
私はグリーンピースが苦手だ。
ダイス状の人参とグリーンピースと、コーンのミックスは最悪、滅んだ方がいいと満場一致で可決した。
しりとりもした。三文字縛りのしりとり。「ふあん」でまさかの唐突な終了を迎え、今度は二文字しりとり。意外とこれが続いてしまうのだ。
こんなことばっかりしている。
コーヒーが好きな友達のコーヒー。
私の親もコーヒー好き、コーヒー教室にかよっては食後に丁寧にコーヒーを淹れていた。ぷっくり膨らむ三角錐の中のコーヒーと部屋に漂う香ばしい薫り。
道具も全て自分で用意して、はかりできっちり300グラム測る友達の姿を見て
なぜか嬉しくなった。人がこだわって、好きなことしているのを見るのはとても幸福感がある。
コーヒーを砂糖なし、ミルクなしで飲みきったことのない私が、友達のコーヒーはスイーと飲んでしまった。もしかしたら私、コーヒー飲めるようになったかもしれない。明日も飲んでみよう。でも友達のコーヒーの味に負けず劣らずのいいやつを。友達の言わせると”奇跡的にうまく淹れれた”あのコーヒーの味をまずいコーヒーで忘れさせてはならぬ。
友達はカフェを開きたいらしい。イタリアから帰って、それに向けて本格的に動き出すつもりだそうだ。
私も喫茶店が開きたい、もしかしたら将来、同業者になるかもねと笑った。
やりたいことはずっと言っていこうね、と
コーヒーの話をしている時の友達が一番イキイキしていた、本当に好きなんだなと思った。私はそこまで目を輝かせて語る何かがあるだろうか。
カウンターの後ろで嬉しそうにコーヒーを淹れている彼の姿まで想像できた。
友達は自分がフィレンツェを案内できたかどうか始終自信なさげだったけど、
美味しいものをニコニコ食べて、好きな曲を教えあって、将来の話をしてるだけで本当によかった。
高校生の時に、「正直、mimiとはどこにいても何しても楽しい」と言われたことがある、まさにそんな感じ。
好きな音楽の話が合うのも、もしかしたらこの不思議な仲に関係しているかもしれない。好きな曲が一緒ってだけで、この人とは楽しくやってける、と思った。(なんだかここまで書いてて恥ずかしくなってきた、特に深い意味はないです、また汗かいてきた。)
フィレンツェで買ったパニーノを食べながら、ベルリンの家に帰った。
玄関の一歩手前で、全部食べてしまった。寂しいけれど、これで私のイタリア旅行も終わりです。
少し長めのピクニックが終わったかのような軽やかな気持ち。
いちごの香りのアイスカフェラテも飲まなきゃいけません、忘れないように。
帰ってきたその日に、忘れないように、と勢いでここまで書いてしまった。
最後まで読む人は一体どれくらいいるだろう、私と友達だけかもしれない。それはそれでいいな。