親友って

親友、というものが私にいるのか、と今までよく考えて来た。

親友、と一番最初に呼んだのは小学生一年生の時にいつも一緒にいた女の子。

なんでもないことをすぐ謎に満ちた不可解な出来事にでっち上げ、探偵になりきり二人で学校中を捜査して回った。

秘密のハンドサインさえあった。

友達のうちに遊びに行っては、秘密でちょっと遠出してつぶつぶのアイスを買ったりした。

その子が転校していく時には「ラチとライオン」の赤くて小さいライオンのマスコットを作って渡した。

でもその子にはなんとなく、私よりもっと仲がいい子がいたと当時から感じていたし、実際そうだったと思う。

何年か文通をして、誕生日には小さな贈り物を送りあった。時々、占いや手作りの付録をつけたお手製の雑誌を交換しあったりもした。

付録はビーズで作ったブレスレットだったり、キラキラ光るキーホルダーだったりした。いつも彼女には綺麗なものをあげたいな、と思っていた私。

彼女が去った翌年に、私もその学校から転校した。

新しい学校でも、親友の女の子の幻影を探した。

でも誰とも探偵ごっこはできなかったし、指輪を作って渡す子も見つからなかった、そうやってそのまま小学校を卒業し、ずっと今まで彼女を探しているような気がする。

きっとあの時すでに、私の中で”親友”の定義というか条件というか思想はすっかり決まってしまった、私が生きれば生きるほどそれはどんどん強固なものになってもっときらきらに磨かれていく。

でも今、彼女に会ってもきっと「親友」と思って接することはないと思う。

二人別れてからもう10年以上、きっと私も彼女もあの時とはすっかり変わってしまっているだろうし。

しかし不思議なことに、彼女はずっと私の中で「親友」であり、きっとこれからもそれは変わることはないんだろうなと思う。

あ、でも私の恋人は、親友だな、と思った。

親友の条件として、何をしても許してしまうし、許される、というものが私の中でずっとあって

私はムッとしたり、イラっとしたことをずっと引きずる人だし(もうこれは認める、ねちっこいやつなんだよ私は)あんまり忘れない。

親友について考える時に「ああいうことあったからな」とか思いだして

ぽろぽろ私の中の親友の網の目からこぼれ落ちていく。

で、私の恋人のことは色々あっても結局許してしまうし、それは他の人に対するものとは違う、愛とかそういう感情によるものだと思う。

友達に対しても、もちろん愛はあるんだけど、彼に対する愛はもっと家族とかに向けての愛みたいな感じ。

恋人も私のことは「親友」だという、今までで唯一一人の親友。

あ、でもここまで来ても私の”親友”のあの子とは違うんだよな、

あの子は今でもずっと小学生の姿のまま、私の記憶の中にあるし(たとえFacebookで偶然今の姿を見かけたとしても)

ちょっと人間ではないみたいな存在感で私の心に残っている。

子どもの時に信じてた世界の中の住人、みたいな感じなのかな。

きっと親友に対して抱く感情は、愛、で(ここで愛とは何かみたいなことは語らないけど)私にまた女の子の親友ができたとしたらそれはきっと私の恋人になるんだと思う、それか好きな人。

あと、この人は親友だな、と思う(ような人がいたとしたら)きっと私から気安く

『親友ですよね』と確認するようなことはできないんだろうなと思う。(私の恋人は別として)

「相手は自分のこと親友だと思ってなかったら恥ずかしい」とかそういう気持ちの前に、その言葉で色々なものがあっけなく壊れてしまいそうな気がするし。

そもそも親友を探す必要もないか、という気持ちになって来た。

そんなのなくても私の友達はみんな優しくて、愛してて、大事にしたいと思うひとたちだけだから。

でも今まで親友という言葉を聞くたびに蘇る、あの女の子のことを書きたいなと思ったし、

昨晩私の親友の定義がちょっとはっきりしてスッキリ嬉しかったので、このこと書きました。

Please follow and like us:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です