ベルリンの美大でやったこと パフォーマンス 1

二つ目はパフォーマンスの授業です。

最初にビデオを何本か見せられて、それを見ての気づきや感想、技術的なことを言い合います。例えばこんなビデオを見ました。↓↓

次に日には、パフォーマンスアーティストの女性が来てワークショップが行われました。

このワークショップが大学の授業の中で一番刺激的だったと今でも思います。

自分を表すメタファーと、物を持ってきて自分についての詩を読んだり。(例えば、自分はターコイズブルーの爪のリスで冬の雨のような声を持つ、とか)

部屋の中でみんなで歩き回って、彼女(パフォーマンスの講師)が『笑って!』といえばみんなで笑い、『踊って』といえば自由に体を揺らし。

最後は目をつぶって、時には壁や人にぶつかったりしながらもお互いの気配を感じながら部屋の中をゆっくり歩き回りました。

人の息遣いが近くなったり離れていったり、触れてもすごくそっとで暖かかったりと普段だったら目が見えない状況で歩くって不安なことだと思うのですが、その時はとても安心してリラックスしていたことを思い出します。

最後は目をつぶったまま手をのばし、パートナーを見つけます。その時繋いだ柔らかくて大きい手の感触は今でも残っています。『この何も見えない世界で一人だけのパートナーを探すのよ』と言われました。

パートナーと手を繋ぎあってまたゆっくり歩き回った後に、手をそっと離していっときまた歩いてから目を開けます。最後まで誰と手を繋いでいたのかは分かりませんし、それが心地よかったです。

今度は目を開けたままパートナーを作り、向かい合ってずっと見つめ合います。お互いしゃがんだり、寝そべったり、鼻と鼻をくっつけあったりしますがずっと目を見たままです。最初は照れて笑ってしまったりしましたが、だんだんと相手を見つめているのか瞳の中の自分を見つめているのかわからなくなって行きます。

いままでの人生の中で一番長いこと真剣に他人と見つめあった時間でした。

人から見つめられるときって『毛穴が…』『鼻毛出てないかな』とかきになるものでしたが、その時はそんな感情を飛び越えたところにいました。

また他のパートナーを作り、片方は目をつぶって立ちます。片方はじっくりとパートナーを見つめ、髪の匂いを嗅いだり、鼻の形を指でなぞったり。手を持って限界まで曲げてみたりも(もちろん痛くないようにね)

人をものとして観察するのですが、鼓動を感じたり湿った息を感じたりしてより一層人間みを感じました。クラスメートのドイツ人の女の子、ではなくて人間。

大学が始まってまだ1ヶ月もたっていない時にこのワークショップ。

クラスメートととても仲良くなったわけでも、たくさんおしゃべりしたわけでもないのに、内面から繋がるというか、『あの人とお話ししたことはないけど、でもあの人の温もりは知っている』というような不思議な体験でした。

また、このワークショップは『アートだから』という前提があるからこそ、みんなある意味”酔って”できるのではないかと思うのでした。

これを例えば地元の公民館でやればどうなるんだろう、とか。気持ち悪くなったりしないかな、何やってんだろって冷静になってしまったり。

私はこのパフォーマンスの授業はとても楽しく、リラックスしたものでしたが、クラスメートの女の子は途中で泣き出してしまいました。

まだ仲良くもない人の目をずっと見つめたり、目を瞑る時間が長かったりと普段考えないようにしていたことまで考えてしまって涙が止まらなくなってしまったそうです。

講師の女性も、彼女が泣き止むまで『あなたの繊細な心にリスペクトを持ってるよ』と繰り返していました。

このパフォーマンスの授業では色々考えることがあったので、また書いていこうと思います。

それではまた明日、

 

 

 

 

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